秋練.2

 

 

     11時2分浦上バス停の黙祷

                

               季語 なし

 

 季語がなくても長崎原爆とわかってもらいたい。今日ラン練の途中に午前11時2分を迎えた。頭上にサイレンがなり場所は本当は中央橋バス停であったのをわかりやすく浦上という地名を持ってきた。一分間の黙祷をしているのは私を含めて数人。私の母方の祖母は広島原爆で被爆し、住んでいた町内は蒸発し一年間苦しんだ上白血病(たぶん)で亡くなった。カミさんの母親は長崎原爆で被爆し80歳半ばまで生きたが、被爆直後のひどい惨状の中同じく被爆した瀕死の妹を探し回りやっと見つけ茂木までリヤカーで運んでいる途中に、それでもなお赤い花をつけている夾竹桃をそれ以降好きになれなかったと言う。

 戦争は勝者が歴史を都合よく描く。もし太平洋戦争で日本が逆転勝利したのなら原爆投下は戦争犯罪になっただろう。無差別の殺人だ。しかも焼き殺すという虐殺なのだ。

病院、学校、教会、すべて破壊し尽くす。赤ん坊や病人や非戦闘要員の一般市民までがすべて焼かれてしまった。

東京大空襲もそうだ。B29の大編隊は市民が逃げ場がなくなるように風上から焼夷弾を落としたそうな。戦争するにも喧嘩するにもルールがある。

非戦闘地域への攻撃は戦時国際法違反なのである。74年前といえば、今のように欧米白人国家は人種人権意識が育ってなく黄色人種や黒人は人間とは思っていない。だからイエローモンキーの日本に原爆投下したのだろう。この日が来ると核兵器廃絶の思いとキリスト教国家のむごさとエゴイズムを感じるのである。