秋練.13

 

北海道マラソン.番外

 

 スタートゴール地点の札幌の大通公園にはひっそりと石川啄木の歌碑がある。確か西大通7丁目付近だったか?

彼が釧路新聞(元北海道新聞)に勤務した縁によるものなそうな。

 石川啄木1886年明治19年) -~1912年(明治45年)岩手県の歌人。

 

 

       しんとして幅廣き街の秋の夜の玉蜀黍の焼くるにほひよ  

 

       の歌が刻まれている。これは有名な歌集「一握の砂」に収められている短歌。

 

 傷心のリタイヤのバス帰還の後で気分は最低だったのですが、この石川啄木の歌碑を訪れることも予定にしていたのでいざ訪れてみると、マラソンのあの白いテントの裏側に隠れるようにあってこのスポーツ催事にあっては啄木の存在も二の次にされて啄木が可哀想になった。いや、啄木の短い薄幸な人生に似合ってるやんか、とも思った。

啄木は26才で肺結核で早逝している。生存中の人生のエピソードでは人をポジティブに感じさせるものは何もないし、借金魔だとか、金のないくせに浮気性だとか、大逆事件に関連して社会主義に傾倒していたのではないかとか、ネガティブに感じさせるものばかりなのでる。なのに若干20才代にしてあの感性の中に老成をも感じさせるのはどうだろう。

 瑞々しくわかりやすい「一握の砂の歌集」の叫びはこれからも日本人の心を打ち続けるに違いない。

 

東海の小島の磯の白砂にわれ泣きぬれて蟹とたはむる

たはむれに母を背負ひてそのあまり軽(かろ)きに泣きて三歩あゆまず

はたらけどはたらけど猶わが生活(くらし)楽にならざりぢつと手を見る

友がみなわれよりえらく見ゆる日よ花を買ひ来て妻としたしむ

ふるさとの訛なつかし停車場の人ごみの中にそを聴きにゆく

ふるさとの山に向ひて言ふことなしふるさとの山はありがたきかな