秋練.23

 

 はやくなるためのラン練習をしだすと、ジョギングを中心とした練習の時の楽しみあるいはルーティーンが犠牲になる。犠牲という言葉はなるべく使いたくないので、ここは変化としておこう。変化とはジョギング中の自然や街や山野の風景、俳句短歌で言うところの花鳥風月が目に入らなくなるのだ。つまり句を創作する機会が失われるのである。いや、スピ練の状況や心情を歌にすることはできるのだが、それを歌にしても風流が減じてくるの否めない。スピ練を心に決めてしまうとほぼ毎日同じコースを走り過去の記録と比較するのが日課となってくる。そこには詩情の視点がまた違ってくるのだ。歌が止めどもなく湧き出てくるのは、恋をしている時か何かに夢中になれる時なのだが、速くなりたい過去の成績に復帰したいと汗を流すのに夢中になることとは練習の義務が生じている時点で別物なのである。純情が傍観者に美意識を感じさせるに相違ないが、なかなかその場面には自他共にお目にかかれぬ。

 

      秋暁の景色に似たる純情は褪せることなく身に沈みゆく

 

 *絵は竹久夢二画伯からお借りしました。