秋練.5

 

 

 

 

     残暑なほ単衣の肌に汗ばめど磯の木蔭に鳴く蝉もなし

 

                                    土田 耕平

               明治期の歌人、童話作家

 

 明治の短歌では当然きているものは着物。絽とか紗とか羅などの薄手の織物を用いていた。当然現代も夏物の単衣(ひとえ)の反物は高級品だ。夏物の単衣を着てくんちの庭先調査をしたことがあります。調査の責任者だけは綿の浴衣などはもってのほかで、準正装をして礼儀を保たなくてはならず梅雨時期の晴れ間はもう日差しは強烈だったが、この絽の着物はとても快適な着物だった。汗がこもらずに暑さを感じさせない何かが備わっているのか、とても涼しく感じ苦にならなかった。

 土田歌人は普段着の着物だったと思われるが、この歌は直截的で無駄がない私好みのお歌ではある。

 

昨日ご近所の「茂木岳」(409m)にトレールに出かけた。この山は近すぎて低いし山頂からの眺望も効かないので誰も登らない不人気な山なのです。当然誰も行かないから登山道は荒れ放題。九州電力の鉄塔保守のためにその道が作られていてそれを頼りに山頂を目指す。この山はかれこれ20年近く立ち寄ってない。最後に登った時は20年も前なので、登山の降り道甑岩峠付近では、近くに造成中のゴルフ場がバブルの崩壊でそのままにされておりだだっ広い荒地になっていたのを思い出す。今ではソーラー発電施設が稼働しています。で、結局かつての登山道は蜘蛛の巣、竹藪、雑草、小規模な土砂崩れ、おまけにまくなぎの攻撃で前に進めず、ほうほうの体で逃げ帰ってきた。帰りも道に迷って沢伝いに降りて危ない目に会った。この間の事故でもう無理はすまいと思うのですが、何故かこんな目に遭う。少しは落ち着いて上記のようなうなお歌を謡いたいものです。