秋練.8

 

  ブログを記するにあたって、書いてはいけない事は最低限に守っているつもりです。他人(団体も)の批評とか、政治的な事とか、宗教的な事とか、だが、安倍首相の辞任については個人的な思いをここに書くことを許してほしい。

生活の上で現実的で打算的で究極に突き詰めていく自分なりの哲学はある。それは個人の生きる時代の価値観や育った環境や周囲にいて共に暮らしていた人々の影響の分量などで形作られるのであろう。日本人には日本人の西洋には西洋の、アフリカにはアフリカの過去から現代までの時代に醸成された価値観はありましょう。

 安倍首相には少なくとも四つのやれなかったことが明白にある。第一に憲法改正ができなかった事。第2に北朝鮮拉致問題を解決できなかった事。第3に北方領土返還交渉が進展しなかった事、最後に靖国神社参拝が総理大臣在任中に行われなかった事。

 しかしながら安倍首相は戦後ひきずっていた贖罪感から解放するために日本という国体を何とか立て直そうとした初めての総理大臣とわたしは思っている。

 わたしは国の運営、いや国の行く末について考える時この国は果たして自国民から愛されているのか、日本国民として日本国を誇れるのかを考えていました。国を豊にまた心から豊に暮らせて行けるのか、今は苦しいけど未来には子孫たちがより豊に暮らせるのかを日本国民として今を生きる私たちが真剣に考える機会を醸成することが義務ではあろうと考えていました。

 今は重税に喘いでいても日本国民に誇りに思える国であって欲しい、「税金を払ってよかったね。」と思える国造りをして欲しいと今まで思ってきました。戦後70年以上に渡って心にモヤモヤを抱き続けた大多数の日本国民にとって日本国民としての誇りを持たせてくれようとしたのは、安倍首相だったと思う。彼の上記の四つの無作為は、それは許していいのではないかとも思える。人間は努力しても報われることもあれば失意に終わることもある。今日の首相会見の文言の中に「政治家は結果がすべてです。」とあって安倍首相の無念さがひしひしと伝わってきたのは私だけではないでしょう。病はよっぽど重症なのかも知れない。でも安倍首相にはご苦労様でしたと申し上げたい。願わくば靖国参拝はどうか総理在任中に実現して欲しい。中国戦線で若き日を戦争に参加し九死に一生した父と戦死した父の戦友のために。広島原爆で被爆し一年後白血病で死んだ母方の祖母の為に。長崎原爆で被爆した妻の母や叔母のために。太平洋戦争は日本の侵略的戦争と思い込まされてきた戦後生まれの我々にむけて。少なからず西洋白人種の帝国植民地主義からの解放闘争であった部分もあるということを・・・・・。