22春 記述再開

 

 

 

      還暦の誓いは遠くなりにけな

                今また古稀に同じく誓う

         

  走れば当然だった50歳以前の自身のフルサブフォーを60才代で再び達成するという誓いは虚しく過ぎ去り古稀の今新たに思ふところあり。

 

 前回更新したのは去年の3月で随分とご無沙汰してしまいました。ランライフとその当時の生活が決して剥離していたのではなく、その逆で、長い間大会開催の中止を余儀なくされ挙句、去年の春の大会も直前になって県の要請により中止になってしまい、4月半ばまで入院中の病床で春の大会を準備していたせいもあって、その喪失感と無念さでどうにも精神の収まりようがなく、ブログを書く、句を吟ずるような余裕のある状態では無かったのだ。春の中止以降は、それではと8月の暑熱の大会を企画し、再び感染がピークを迎えながらの8月の初旬、コロナ対策と暑熱対策の二重の準備でそれは今までにない大会の重圧となった。結局、政府のオリンピック開催が精神的な支えとなり、地元の批判を浴びつつもかろうじての大会開催にこぎつけました。本来夏場の大会はマラニック競技では過酷な上に熱中症で命の危険もあるために夏場の開催はNGとしていたのだが、その時は「やるやる詐欺」になってはいけない、大会を心待ちにしている方々になんとか開催をとの思い込みで夏の大会を企画実行したのでした。結果は思わぬ大雨で二日目は暑熱対策などいらぬ、むしろ寒さを感じるほどの夏の大会となったのでした。この時のゴールした馴染みのランナーの表情は喜びに溢れているのではなく、憔悴仕切った渋面ばかりで、この時はまたこの時期の大会は果たしてどうなのかという疑問と多少の後悔が湧いてきて大会運営の難しさを感じたものでした。それから感染が落ち着いた11月、初冬の島原ステージは感染が落ち着いたせいもあり、地元の反感もなく大会無事開催できゴールする選手の表情も誰もが喜びに輝いていて、今まで当然であったやりがいのある大会が戻った瞬間であったと思いました。 つづく