2022秋練(残暑練).6

 

 

 

   マラソンは紡ぐ明日も紡ぐ・・紡ぐよね・・たぶん

 

                一応短歌です。破調ではありますが。

 

 写真は長崎市上小島町にある祝捷山(しゅくしょうざん)公園。一周300mの周回路があり、時たま坂を走りたくない時にここをぐるぐる回ってランの気分調整をします。ありがたい場所です。また公園の横に120年前の日露戦役の戦没英霊を祀る小さな祠があり、自然と手を合わさざるを得ない場所でもあります。

 

 今夏のラン練の総括をしみると、ラン練で己の脚力をより強化するとか、超回復現象で筋肉をしなやかに保つとか、・・・できません、という当たり前のことが一層理解できた。腰痛の頃の距離を稼ぐだけのダラダララン練では、さもありなんと自分を納得させていたが、いざ腰痛が改善し速くなりたいとスピ練などやってみると、腰痛の頃と同じく効果が現れるどころか、疲労が蓄積するだけで走れば走るだけ翌日の練習に嫌気が出るほどの疲労感が上乗せされるだけだった。それは若い頃はああだったこうだったのお決まり回顧と懐古につながっていくのが癪に障る。若い頃と同じ練習をしていてもつまりもう歳なのだ。筋肉の老化が進行中なのである。わかっているけど、癪に障るから同じことをしたいのだ。マラソンにまぐれはないのもわかっているが、ひょっとしたら奇跡が起こるのではないかと小さな願望的期待もあって走り出す。だが、奇跡に巡り会うような強運の持ち主でもない。待てよ、奇跡とは一体なんなのか?今こうしてラン練習が若い頃のようにでき、ここ数ヶ月300kmのノルマを曲がりなりにも達成できたのは、これは奇跡といえば奇跡なのかも知れぬ。