2023夏練.4

 

  奥州きらめきマラソン.その3

 

                        由緒ある田舎道だと下りをり

             北上川の速き流れは

 

    ゆいしょあるいなかみちだとくだりをるきたかみか川のはやきながれは

 

 

 24km地点で腹痛が差し込み始めたので、そこで用足し。これで6分以上のロスをしてしまい、しかもペースは落ちる一方で4時間30分も危うくなってきた。4時間50分に切り替え。練習の積み増しどころか、必要不可欠の終盤練習ができていないので当たり前の途中経過だ。足は重いし、体はだるいし、・・・でもフルの大会に出ていること自体、ウルトラとは違うキツさだるさがなんとも言えない高揚感があってなんだか楽しめるのである。距離が42kmしかないからであろうか。これ以上足が上がらなくなっても足が限界に来たとは意地でも思わないようにした。

 やがて32kmすぎて4時間30分も危険ラインを過ぎて、5時間以内に到達するには残り10kmを1時間20分以内のペースでキロ8分でもいけるではないかとの思いを巡らしながら走ってはいた。足も意地でも止めない覚悟はあるし・・・。ところが、35kmのエイドでまた腹痛に襲われ、急いで簡易トイレに駆け込み、しゃがもうとした瞬間、あ、あしが・・・ピキピキ攣り始めて、悲鳴が出そうになった・・・。手すりのない簡易トイレの中でパンツをずり下げ半立ちしたまま固まってしまい、すべる壁にすがりつきながら排泄もできずに悲鳴を我慢し、もがいているジジイの姿はそこがもしスケルトンのトイレならば、これ以上ない滑稽な場面をトイレの列に並んだランナーは目撃できてただろう・・・・。

 

 初岩手ではあったが、むしろ懐かしが湧いてきて、花巻空港から北上川沿いを上る(長崎では全く逆方向)その道は、九州の田舎道と同じような雰囲気で、とても馴染めるのである。岩手県に訪れたいと思っていたのは実は大船渡のマラソン大会(佐々木七恵記念ロードレース)であったのです。2011年東日本大震災と津波の被害にあった折、数年の間選手から集めた災害義援金を大船渡市におもにお送りしました。それは橘湾岸マラニックにご縁のあった大切な人の故郷が大船渡市であったからです。岩手に行くなら、大船渡と決めていたのですが私自身の個人的なサブフォー復帰プロジェクトの一環で5月に開催されたフルがたまたま岩手県であったので今回岩手行きが実現したわけです。もちろん、大船渡行きは必ず実現したいと思っています。この岩手県の道路際の草木の植生が何かが違うのかやはり九州の道とは雰囲気が違うので、それは後ほどゆっくり調べてみたいと思っております。